歌舞伎座解体へ、「さよなら公演」は来年1月から歌舞伎の殿堂として長く親しまれた歌舞伎座(東京都中央区銀座)が、老朽化などで2010年4月の興行を最後に解体される。
松竹が20日、建て替えのスケジュールを発表した。約3年の解体工事を経て、新劇場が入居する複合ビルに生まれ変わる。
歌舞伎座は1925年に現在の桃山風建築として開場。戦災を経て、51年に再開した。同社の安孫子正専務によると、物資の乏しい時代に建築したために耐震性に不安がある上、古い建物ゆえに体の不自由な客が利用しにくいなどの問題があったという。
(以下略)
(2008年10月20日19時47分 読売新聞より)
そうですか、歌舞伎座解体しちゃうんですね・・。
自分は、正面から入った事は1度だけあります。あとは全部、楽屋口から。
前にも触れましたが、10余年前に1年程、某歌舞伎役者の付き人をやってました。
そんなわけで、メインの職場は歌舞伎座内の楽屋でした。あとは国立劇場とか、南座、新歌舞伎座。NHKホールの楽屋も入りましたっけ。
自分が入った楽屋の中では、(一番長くいたせいもありますが)歌舞伎座の雰囲気が一番好きでした。南座ほど古すぎず、国立劇場ほど無機質でないのが適度に居心地が良かった。(新歌舞伎座は確かこけら落としの翌月くらいに行ったんで・・新しかったです)
それだけに今回のニュースは純粋に「寂しい」。
↓楽日に関係者全員に配られる大入袋(10円入り)。左が歌舞伎座、右が南座。
モザイクかかってるところに自分の名前が書かれてます。
おぼろになりつつある記憶を少しだけ辿ってみますと。
歌舞伎座の楽屋口から入ると、まず下足箱。そこで預けてある私物の草履やスリッパなどに履き替えて入ります。挨拶は朝だろうと夜だろうと「おはようございます!」。
1階は楽屋、舞台の袖や裏、花道へ出る控えなど。
2階は、楽屋、衣装・頭(=かつらのこと)の部屋など。
3階はお弟子さん達の入るタコ大部屋。
(部屋の入り口前にあったパンの自販機にはよくお世話になりました)
地下にはスッポン(せり上がり)や、盆回し(回し舞台)装置など。
出待ちの時間が長い時は、自分の付いてた役者さんはよく部屋で昼寝してましたね。自分はその間、楽屋の隅か廊下の隅でクロスワード解いたり本を読んだり。通りすがりに人懐こく話しかけてくれる役者さんもいれば、挨拶しても一瞥もくれない役者さんもいたり、馬の合う役者さんや裏方さん、付き人さんと他愛もない四方山話に花を咲かせてみたり。
写真などは一枚も撮っていませんが、歌舞伎座というと真っ先に、あの楽屋を繋ぐ廊下を思い出します。客として入ったのは一度きりでしたが、間違いなく思い出の場所でした。
銀座で足を止める場所が、これでひとつ減ってしまうんですねえ・・。はあ。
さりえ
こんばんは。さりえといいます。
付き人さんって大変な仕事ではなかったですか?自分も憧れてはいるのですが、お給料とか、社会保険とか入れるのかとか、旦那さんが舞台のない月は、付き人はどうしているのかとか、やっぱりイジメとかあるのかとか凄く考えてしまいます。
自分と合わない役者さんだったら耐えられるのかなとか......。ともかく好きなだけじゃできないと聞いたこともあります。あと、まじめに誠実だと、役者さんからも大事にされるとも聞いたこともありますが、どうなんでしょうか?教えてください。お願いします。
風花丸
さりえさん>
「10余年前の」「自分の経験と見聞内での」答えになりますが、一例として参考になれば幸いです。
大変か?…舞台のある日=仕事なので、丸1日休める休日は月末の数日(1~2日程度)。
働く時間も場所も月ごとに変わり、地方公演時は1ヶ月単位でビジネスホテル(※)暮らしです。
※松竹が手配します。現地までの交通費(新幹線自由席往復)と宿泊費は松竹持ち。食費は自前。
給料?…役者さんによりまちまち。時間給に換算すると一般的なパートやアルバイトより安めか。
各種保険?…(自分の場合は)自分で給料から国民年金と保険の手続きをしていました。
舞台のない月?…丸一月お休みを頂けるかも知れませんし、別の雑務を言付かるかも知れません。
お休みの場合、丸一月給料も無しになるかも知れません。付いている役者さん次第です。
イジメ等?…一般の職場で起こりそうなことを想像して頂ければ、それほど大差はないと思われます。
ただし正真正銘「役者子供」な方もおられるので、理不尽な事象を目の当たりにすること多々あり。
・・とまあ、書けば書くほどに「好きなだけでは勤まらない」世界ではありましたが・・。
自分は舞台裏の雰囲気そのものが好きでしたから、それを楽しみに勤めることができました。
役者さん目当てでこの仕事に就くと、色々と見えすぎて大変かも知れません・・???