ナラカツ

日航機墜落事故:山守、脳梗塞で倒れる 遺族ら回復祈る

 犠牲者520人を出した85年の日航ジャンボ機墜落事故現場の群馬県上野村で、御巣鷹の尾根の管理を続けてきた仲沢勝美さん(85)が昨年末に脳こうそくで倒れ、寝たきりになっている。事故翌年から登山道の修復、整備役を担い、遺族とともに標高約1200メートルの山に足を運んだ。遺族からは回復を祈り、復帰を願う手紙が相次いでいる。(中略)
 登山道に手すりを作り、小川に橋をかけ、草むしりや道の舗装を続けた。高齢の遺族を背負って登ったり、登山できない遺族に代わって墓標に花を手向けたりもした。毎月12日の月命日を含め、登山回数は月平均4~5回。この19年間に遺族と交わした手紙は1000通以上になる。妻和子さん(73)は「遺族から『一緒に山に登ってほしい』と言われると、すぐに駆けつけた。管理人の仕事にすべてを注いでいた」と振り返る。
 若いころ荒れた生活を送った仲沢さんは「この事故でおれも生まれ変わった。この仕事は死ぬまでやめねえ」とよく話し「いつかは山にモノレールを作り、運転して連れて行ってやる」が口癖だった。(以下略)
(毎日新聞オンライン 2005年6月27日 10時44分 より一部抜粋)

丁度偶然というか、この仲沢さんの話も載っている本を一緒に注文していて読んだばかりでした。
 

「ナラカツ」というのは、昔の荒れていた頃の仲沢さんの通り名。本で「いつかモノレールを云々」の話と一緒に触れられていたので印象に残り、実現するといいなあと漠然と感想を抱いていた矢先にこのニュースです。心配ですよ......。


追記
仲沢勝美氏死去 御巣鷹の尾根元管理人

 仲沢勝美氏(なかざわ・かつみ=御巣鷹の尾根元管理人)1日午後1時36分、肺炎のため群馬県下仁田町の病院で死去、86歳。群馬県出身。自宅は同県上野村楢原206。葬儀・告別式は5日午後1時から同村乙父2009の1、構造改善センターで。喪主は長男定信(さだのぶ)氏。
 日航ジャンボ機墜落事故翌年の86年から04年まで、事故現場となった御巣鷹の尾根の登山道整備などに尽力した。
(2006/01/03 13:36 【共同通信】 より)


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