無題その後

猫でも初七日ってあるのだろうかと思いつつ。
1週間経ったので記録代わりに、当時のメモ書きなどまとめる。
思い出すのも辛いが、最期まで一生懸命生きた彼女を忘れない為に。

当時のメモ書き。

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■2010年05月22日 (Sat)
ここ数日具合が悪そうだったのでまた病院へ連れて行った。
悪性腫瘍が、肺のあたりに転移してた。
もう除去出来ない。
何もしてやれない。見ていることしかできない。
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■2010年05月25日 (Tue)
餌を食べない。水しか飲まない。無理に餌のスープを口に入れてやっても飲むのはほんの数口。日に日にやつれていく。ただただ寝ている。
腫瘍で肺が機能しなくなるのが先か。
衰弱して動けなくなるのが先か。
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■2010年05月27日 (Thu)
骨と皮ばかりになっているのに、まだ自分で水を飲みに行くしトイレにも行く。
体力を消耗して欲しくないが、もう好きなようにさせておく。
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■2010年05月29日 (Sat)
歩ける距離が少なくなってきた。
玄関やフローリングの冷たい床で寝たがる。
飲む水の量も僅かなものだ。
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■2010年05月31日 (Mon)
口で息をするようになった。
発作のような症状が出るようになった。
トイレ前まで歩いたところで初めて粗相した。
鳴こうとしても声は出ない。
ただ大きく見開いた目で、じっと見つめてくる。
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■2010年06月01日 (Tue)
AM6:00、息が出来なくなった。
心臓マッサージで2度息をして、それが最期。
家のどこを見ても思い出して涙が止まらない
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腫瘍は2月に摘出したものと同じ物。背中でも恐ろしい勢いで肥大するのを見ていたから、それが肺に転移したとなれば長くないのは分かっていた。だから最期くらいは家で過ごさせようと病院から連れ帰った。極力外に出ずに一緒に過ごした。夜は寝袋を引っ張り出して、彼女が寝るのを見てから自分も一緒に廊下で寝た。

最期の日。彼女はふらつきながらも、深夜でしんとした家の中をいつも以上にあちこち移動した。いつも寝ていたお気に入りの場所を転々とし、他の猫たちと一緒に寝たがった。最後は廊下に置いてあったケージの中で少しだけ実姉の檜に毛づくろいしてもらい、それでようやく落ち着いて寝たのが朝4時過ぎた頃だった。自分もそれを見て、ケージの前で寝袋に入った。

不意に響き渡った断末魔の叫びに、眠気は一瞬で吹き飛んだ。
どうやって寝袋を飛び出したか全く覚えていない。
ほとんど足腰が立たなくなっていた彼女は、それでも最期まで自分でトイレに行こうとしたらしく、その道中で倒れて声を振り絞っていた。すっかり体力が落ちてここ数日は微かにしか鳴けなくなっていた彼女の、この世のものとは思えない叫び声に、とうとうその時が来たのは一目で分かった。肺が機能せず、息が出来ずにもがいている彼女に駆け寄り、夢中で胸を、腹をさする、次第に動きが鈍くなる彼女の薄い体に心臓マッサージを施す。それで彼女は2度だけ息を吐き――それきりもう反応はなかった。手の中で彼女の全身から力が抜けてぐにゃりとなるのを、まるで別世界の出来事のように呆然と見下ろした。時計は丁度6時だった。


いまPCの脇に、寺で火葬してもらった彼女の骨壺がある。
写真も飾ってやりたいが・・七日経てばと思ったが・・まだ、無理だ。


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