紙飛行機の行く先

広島に原爆が投下されて61年です。
もちろん自分は実際に体験したわけではないのですが、この日ばかりはそれまでの人生で見知った話を毎年のように反芻して、自分が原爆と戦争に、無感動にならないように再確認するようにしています。

これまでに何度か日記などで触れたことばかりかもしれませんが、どうぞ少しだけお付き合い下さい。

父方の祖父母から聞いた話。

当時呉に住んでいた祖父母は、原爆が投下された広島市の空を見ました。黒く赤く、とてもこの世の物と思えない色。
近所の人達が自然と集まり、あれは広島の方だ、空襲ではなさそうだけれど、と空を眺めていると、やがて爆風で色々な燃えかすが飛ばされてきました。それは衣服の切れ端なのか、家だったものなのか、人だったものなのか。まだいくらか火の残っているものもあり、それが降ってくるので、祖父が屋根に駆け上ってシャベルで掻き落としました。
次第に逃げてくる人達の話や状態から、なにかよく分からない、たった一発で広島を壊滅状態にしてしまった、これまでとは違う恐ろしい爆弾が落とされたのだと皆気づき始めます。
数日後、祖母の母(自分の曾祖母です)は、広島市の親戚や知人を心配して自ら爆心地へと出かけていきました。
残留放射能の恐怖まで知るはずもなく、焼け跡を歩いた人の多くが被曝(爆弾投下時に直接被害を受けるのが「被爆」、放射能の被害は「被曝(=被ばく)」)しました。
それまで健常だった祖母の母も、焼け跡から戻ってからはみるみる体調を崩し、2ヶ月後に亡くなりました。

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さて。
小学校で原爆教育があった人なら、映画『はだしのゲン』や『おこり地蔵』あたり御存知ですかね。自分はこの二つしか見たことがなかったのですが、他に『ピカドン』という、前者2作よりトラウマ度が高いと語り継がれている短編アニメ(しかも一番最初に作られた原爆映画)の存在を知りました。10分足らずかそこらの長さで、台詞は無し。当時のいつもの朝の風景から始まって、8:15以降の地獄絵図までが、淡々とした絵で映し出されます。

ピカドン → http://picadon.exblog.jp/

じわじわ進んでいく時計の針を見るのが辛いです。
70あたりからマウスをクリックするのが辛いです。

でも61年前の今日、ヒロシマで現実に起こったこと。


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